欲求を明確にして生きることが大事!と思った母とのこと

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欲求を明確にして生きることが大事!と思った母とのこと

母の死を通して「学んだこと」「気づいたこと」
そして今に繋がること

はじめに

いつも考えていたこと

親からの言葉を聞いて、私はいつも思っていました。

それは本当に欲張りなことなのだろうか?
わがままって何?
それは本当にわがままなのだろうか?

子どもの頃から『欲』と『イヤ』について、常に考えていました。

 

親は、子どもが「イヤ!」というと「イヤイヤ言うんじゃありません!」と、よく怒りませんか?

「イヤはわがままです!」って、よく言われたんですよね(^^;

母と交わした会話

余命二ヶ月と宣告された母(65)が在宅療養中に、私(33)に言いました。

私もミキみたいに、好きなことをすれば良かった
川西
えっ?好きなこと?
そう、ミキは、私がしたかったことを全部してる

この時、なんと返せばいいのか良くわからなくて、おそらく、「これからしたらいいやん」と、言ったような気がしています。

本当は何と言えば良かったのでしょう?
なぜ母はこのようなことを言ったのでしょう?
ここから学んだことは何でしょう?

いい人でもガンになる!?

当たり前ですが、どんな人でも病気にはなります。
でも私たち家族は「母はガンにならない」と信じていました。

そう信じさせたのは、母の生きざまにありました。

母は信仰熱心な人でした。
だから、こんな心持ちで生きていれば大丈夫!と、思って生きている人でした。

本当に働き者で『人様のために尽くすというのは、きっとこう生きることなんだろうな』と思わせるような人でした。
いつもにこやかで笑顔も絶えず、日々感謝して生きていました。

ところが、そんな母がガンの末期!!

家族の誰もが母の死が迫っていることを信じられませんでした。
どう考えても11歳上の父の方が先でしょう。とか(^^;

家族以上にショックを受けているのは本人だったと思います。

こんなに頑張って信仰してきて、癌?!と。
だって『癌にならない生き方』みたいな紙を自分の部屋に貼っていましたから。

癌と診断を受けてから、あれだけ熱心だった教会への参拝は、ピタ!と、無くなりました。
寝ている部屋のすぐ隣の家が教会ですが、一度もいきませんでした。

信じていたものが裏切られた…
何を信じて生きたらいいのか。
信じていたものから見放された。
どう生きたらいいのか。
皆目見当がつかない。

そんな状態です。

この時、私自身も信じていたものが裏切られたように感じていました。

いい人でもガンになるじゃん!
日々にこやかに過ごしていても?!
どうなっているだ!

何が免疫力を下げるんだ?
何がどうなっているんだ?

しばらく私自身も混乱していました。
そして分かりました!

他者の考えや宗教が悪い、ということではありません。
教えや情報や知恵は、人の手に渡ったり、人の解釈が入ると少しずつズレたりします。
だからこそ、自分自身で検証できる何かを会得しておく方が良いのです。

全てを失ったような感覚の時に、支えになるものとは何でしょう?

無欲で生きることは美徳ですか?

宗教の教えに「欲に切りない泥水や」というのがあります。
その教えを守り「母は欲張ってはいけない!」と心に決めて生活をしていました。

それは自分自身の幸せのためというより、自分の因縁は良くないから子ども達に、この因縁を繋げてはいけない。
ここで変えなければいけないと思っていたようです。
(子どもの頃によく話していましたから)

また「ガンにならない心の持ち方」も、参考にしていました。
教えを守って生きていたのです。

その母がガンになって、すぐ隣の家の教会には一度も足を運びませんでした。

もう疲れた… のか
裏切られた… と思ったのか
かなりショックだったんだと思われます。

母の好きなこと、欲張りだと思っていたことって何だったんでしょう?

欲張りと欲求は一緒なのだろうか?

欲張ってはいけない…
人は欲で身を滅ぼすという考えなのでしょう。

あの習い事がした~い → ダメ!
あれ買って欲しい → ダメ!
皆が持ってるよ → ダメ!
友達と遊びに行きた~い → ダメ!

小さい頃から「学校に行けるだけでも有り難いと思いなさい」と育てられました。

好きな服が買ってもらえるのは年に一度。
お正月の時だけです。
後は人からのお下がりの服でした。

家族でどこかに遊びにいくとか、習い事をするとか外食とか、友達とお金のかかる遊びなどは贅沢なことなので望んでも却下されていました。
でもね、看護の勉強をして知ったのです。

欲求は人間が生きることを支える

人間には「基本的な欲求」と「社会的な欲求」があってこそ、生きていけるんだと言うこと。
欲を持つことで人は、生きていけるのだと知りました。

な~んだ!
欲を持つことはいいことなんじゃん!^^

私は看護師になって自分で稼ぐようになって、自分がしたいことはなんでもする!
と決めて、したいことをしました。

  • 学校に行って
  • メイク道具を買って
  • 母を旅行に連れて行って
  • 大学に行って
  • 学びたいことを学んで
  • 海外旅行に行って
  • お洒落して
  • 遊びたいところに遊びに行って
  • 恋をして

と、色々しました。
母がしたかったことは、きっと学校に行くことや、カラオケやお洒落かなぁーと、思うのです。

カラオケに誘われても贅沢だからと断っていたし…
お洒落については、二人の姉と私、三人の娘たちが服を買っていたから…。

他には大学に行くことかだったこもなぁー。
学歴コンプレックスがありましたから。
もっと学びたかったのかなぁー。
でもなー、辞書をいつも持って本を読んだり手紙を書いたりしていました。
なんでも手作りで、本を見て服も作ってくれました。
運転免許だって一度も落ちることなく合格しました。
学校は行けなかったけれ勉強ができない人ではなかったと思うのです。

何かを勝手に卑下しているのではないだろうか?

おそらく、この上記の内容をみて、あなたなら当たり前にしていることでしょう。

でも『人間の欲は汚いもの』『人間の欲を捨てて生きることが正しい』と信じている信仰心の強い母にとっては、全てが欲の塊だと思っていたんです。
でも私を見ていて、楽しそうで生き生きしていて、思ったことは何でも行動に移している姿がいいなぁーと、思ったようです。

だったら、、、これからすればいいじゃん!
と、思ったのですが、、、わからないんです。

  • 長らく、自分を抑えて生きてくると
  • 何が好きなのか?!
  • 何が欲しいのか?!
  • 何がしてほしいことなのか?!
  • どんな状態を望んでいるのか?!

といったことがわからなくなってしまうんです。

でも何かと取り間違えて、思い違いをしている。と思えませんか?
思い違いをしたままだと好きなことも分からなくなるんですよね。

好きは分からないけれど、イヤはわかる

母が望む介護生活を叶えよう!と、3歳と1歳児を抱えて両親の生活を全面サポートしました。

川西
どんな治療がいい?
皆の言う通りでいい
川西
どんなことがしたい?
ミキの言う通りでいい
川西
どんなものが食べたい?
ミキが作ってくれるものでいい
川西
何がいいかなぁー?
なんでもいい
川西

どんな状態がいいかなぁ? どこか行きたいとこはある?
したいこと、なんでも言ってね。

 

いくら問いかけや促してを繰り返しても、母は自分からこれがいいとか、これが好きとか、これをしてほしい、という欲求や要望は、言いませんでした。
遠慮して言えないのではなく、分からないんです。

「分からない、もう考えられない、なんでもいい」
わからないから、色々やってみると「これはイヤ」「これは嫌い」これは分かるんです。

好きは分からなくてもイヤ!は分かるんですよね。

このように、欲求が明確でないと

「どうしたいのか?」
「何を本当は望んでいるのか?」

といった、次のステップを踏むような問いかけは、無意味になるのです。
(コーチング的質問は、欲求が明確になってから有効だと実感)

欲求が明確であることが大事!

母の自宅介護生活の中で一番心に残ったこと。
それは、欲求が明確であることが何より大事だ!ということ。

欲求が明確でないと、介護される側も、介護する側にも不利益が生じます。

  • 治療の意思決定ができない
  • 介護される時に思いがズレて不満足になる
  • 介護する側も喜んでもらえない空振りが続くと、モチベーションが下がる

欲張り、欲望は、他者を押しのけてまで望むことです。
しかし、自らが欲して自分でそれを満たす行動をするためには、欲求の明確化は必須です。

その欲求が人の手を借りことであったとしても、欲求は明確である方がサポートもしやすくなります。

母は本当に好きなことをしていなかったのだろうか?

少し話を前に戻します。
母は宗教の考えに頼ったかもしれないけど、生きて動いている限り、一生懸命自分が信じることを貫いたんだと思うのです。

子どもの頃からよく耳にしていたのは「私のような子どもの頃の惨めな思いだけはさせない、因縁を私の代で切る!」でした。
日々は母の偏った考えではありましたが、偏っていたなりに言っていることと行動は一致していたので私は考える機会を持てたし、追求する気持ちが持てました。

私たちは皆、健康で幸せだし、子どもも孫も何不自由なく暮らしています。
本当に望んでいたこと… 達成していますよね。

母は母なりの自分軸で生きたのです。
思い残すことなく人に尽くして生きたから、最後は人任せの脱力生活を望んだのかな~と思ったりもします。

母は肺ガンでした。
二ヶ月と言われて八ヶ月になりました。
最後のひと月ぐらい0.5ℓ~1ℓ酸素吸入だけで、咳をすることもなく息苦しさもなく痛みもない闘病生活でした。
最期は、皆に見守られながら息を引き取りました。

最後に

私が母に望んだのは、復活でした。
自然治癒力を生かすであろう生活を、心がけてサポートしました。
一度復活の兆しがありました。でも本人が決めなければ、それは乗り越えることはできない山場でした。

介護の必死さは相手を追い詰めます。
「なんとかやる気になってほしい、もう一度生きたい!と思ってほしい」と願いました。
しかし、寿命だけはどうしようもなかったようです。

亡くなる一週間前に

ミキ、もう頑張れない

とも言われたので、私の必死さが伝わってしまっていたのでしょう。

最後の最期に母は言いました。

足りないかもしれないけれど、私なりに頑張って生きてきた。もうこれでいい」と。

これは、納得の最期になったということでしょうか?!
これは、投げやりな言葉なのでしょうか?!

私の介護やサポートはこれでよかったのか?!
母自身が出来ていたことをもっと明確にして、充分生きていたこと、自分にもっと自信を持っていいことなど、生きているときに自覚できるような聞き方ができたら良かったのではないか?!
無理をして喜んでいたのではないか?!
母の本当に望むことは何だったのだろう?
私は本当に相手のニーズに沿った介護ができていたのだろうか?

その未完了な思いが緩和ケア病棟での着彩カラーセラピーに繋がりました。
そして、本音の対話を交わすことでクライアントの免疫力が向上するという体験をします。

母の心を理解する会話や、母の自分軸を明確にできるような会話が介護中にできたら、もっとよかっただろうにな〜という思いが今に繋がっています。

今、思い返すと、、もう疲れた、、、もう充分だ、、、もう思い残すことはない

あの時の私に「もう充分だ、なんて言わないで!まだまだだと思って」という気持ちがあったので、感じることができなかった、認めたくなかったのでしょう。

人がよく生きるということは、どういうことなのでしょうか?

人がよく生きる、、という生き方は、人それぞれなのでしょう。
どう生きるといいのか、どう生きると幸せなのか、様々な考え方がある中で、敢えていうなら、自分自身の欲求を含めた自分軸を自覚して生きるとよく生きられるように思います。なので、、、

自分軸を明確に自分らしく最期が迎えるように生きたい。
そして、自分軸で生きたいと望む人のサポートをしたい。

プレッシャーをかけることなく。

しなやかにね( ̄ー☆

追記:
この2年間、介護生活が集中していました。
重度のアレルギー児の為にどの代替ミルクもダメで、私が徹底した食事療法を集中して実践してストレスで倒れた時に、母の病気の発覚、葬儀の後、義母の難病が発覚して食事療法をして改善しました。

ストレス・アレルギー・ガン・免疫力・回復・イヤ・欲求・ストレスフリー・健康生活・介護生活・闘病生活・看取り・死・よく生きること、それらを含めての自分軸、自分の生き方として自分自身をしっかり持つ!ということの重要性をひしひしと感じる日々だったんですよね。

そして何より心に残ったのは、今、対話できる相手が生きているなら生きているうちに対話しようよ! 憶測で考えているより本人に確かめましょうよ! 今、今、対話しようよ!と。

 

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